<< 2013年2月5日(火) 2013年1月31日(木) >>

2013年2月3日(日)

3.裏店、使用人

同じく「用心棒日月抄」より。青江の住む裏店の様子を描いたくだりがある。

「又八郎は感心して女の顔を眺めた。住んでいる裏店の、真黒な顔をした女房たちを思い出したのである。裏店の女房たちは、内職をし、亭主と一緒に日雇いに出かけ、井戸端談義に身が入ったあげく女同士で摑み合いの喧嘩をし、甲斐性のない亭主の尻を叩き、言うことをきかない子は殴りつけ、精気にあふれているが肌の手入れまでは手が回らない」
「子沢山の家の暮らしがどんなものかは、裏店の連中の暮らしをみていればわかる。親は真黒になって働いているが、それでも子供は襤褸を下げ、細い脛も露に、ろくに草履もはかず飛び回っている」

 またインドである。インド人の普通の貧乏な家のおっかさん達はやたらと摑み合いの喧嘩はしないだろうし子供を殴りつけることも無いだろうと思う。しかし藤沢周平の描くその騒がしく熱気に溢れた様子は僕が毎日目にするインドと似通ってはいないか。サンダルも履かず走り回るムンバイの貧しい子供達は江戸時代の裏店の子供達と同じなのではないか。

 使用人もそうだ。商家や武家は人を雇っている。例えば「盲目剣谺返し」(これはいい話だった)に「徳平は新之丞が生まれる前から三村家に奉公し、この家で老いた」とある。ここにあるのは当時の当たり前だった「身分」である。使う側、仕える側。同じ家に起居しても住む世界は決して同一ではない。良い事なのかいけないことなのかは別としてそういう時代があった。今だって一部には残っているかもしれない。インドではどうか。憲法でいくらカースト制度が否定されようが、やはり4000年(?)の習慣が一朝一夕になくなるものではないし、使用人という習慣は日本より遥かに多く残っている。また江戸時代登場か。カーストの上下でなくても、金で人を使うという構図は日本より遥かに生々しく残っている。余裕のある家庭はメイドを雇うのが当たり前だし現にウチだって運転手を使っている。思えば日本が何につけ機械化されシステム化されている現状は、ある意味では金で人を使う代わりに機械を使っているようなものだろう。大抵の日本人は「高くもないんだから女中一人雇った方が自分で部屋掃除するより楽だ」とは考えない。一方インドでは社会インフラの未整備は人力でなんとかしてしまう。人を使う、人を遣る、人にやらせるのである。インドの場合は雇い主と雇われた人に厳然と上下関係が生まれる。人間は平等、ではないのである。やはり江戸時代と似ているかもしれない。ただイメージから言うとインドはもっとドライであり、そこにロイヤルティの入り込む余地はあまり無いように見える。もう一つ、言っちゃあ悪いがそのお仕事はともかく、ご主人の持ち物を盗むような使用人が今もいると聞く、その点はやはりインドだ。




にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村
[PR]
by t-nakanobu2 | 2013-02-03 15:45 | 日記
<< 2013年2月5日(火) 2013年1月31日(木) >>