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2013年1月31日(木)

2.時間について


 「用心棒日月抄」より抜粋。
 雪駄問屋田倉屋の妾おとよが主人公の浪人青江又八郎にかけた言葉。
「まあ、よかったこと。なかなかいらっしゃらないから、今日あたり相模屋さんに催促の使いをやろうと思っていましたのよ」

 相模屋とは青江が世話になっている口入屋である。その主人吉蔵と青江の会話。

「昨日はいらっしゃいませんでしたな。青江様・・・いらっしゃる約束でございましたよ・・・お待ちしてましたがいらっしゃらないから、お家をおたずねしました。そう戌の刻ごろでしたな」
「それは相すまんことをした」

 おとよは吉蔵に依頼していた用心棒が来るのを何日待っていたのだろう。彼女は特に仕事もなく妾宅にいればそれでいいはずで、不安の種があって頼んだ用心棒を待つ時間は長かったに違いない、と思う。吉蔵は青江を待ってどう1日を過ごしたのだろう。もちろん他に仕事はあったろう。しかし徒歩で青江の住まいを訪ねて空振りに終わった、それだけで1日の就労時間の結構な部分を浪費してしまったのではないか。ただ当時の状況を想像するに、1日やそこらの遅れなど仕方なかったのではないかと思う。

 前回のエントリーでは牽強付会甚だしくも現代インドの流通事情は日本の江戸時代と似ているんではないか、などの趣旨で書いたが、それに引き続き今回も僕はインドを思ってしまう。だいぶインドが頭から離れなくなっている。
 相模屋が語っているのは客であり職を斡旋してもらう立場の青江の方が相模屋を待たせた場面だが、逆に最初に引用したおとよのように客が散々待たされるのがインドの常である。僕が経験した例が配送業者、インターネット接続業者、エアコンのメンテナンス業者、浄水器業者・・・過去のエントリーにはいちいちイライラした様子を書いてきたが、とにかく業者はまずpunctualではないと思うが身のためである。何かの工事があると言われた日に1日待って何も来なかった、といった話などインドにはごろごろ転がっている。で次の日に連絡し、そこからまた何日の何時に行くだのという話をやり直すのである。彼らはそのことで決して謝らないが、それは顧客に迷惑を掛けて申し訳なかった、という意識を隠して(嘘を吐いて)いるのではなく、そんな思考や感情が元々無いものと思われる。一方でインドでも大手の某電器系リテーラーでは指定時刻に卸から配送されなければ発注自体を取り消す、といった厳しい運用をしているところもあるにはある。ただ市民の日常生活レベルにおいては時刻に関する約束などほぼ無いと思った方がよい。そういえば採用面接を受けに来るインド人もよく遅れていた。日本じゃその時点で不採用だ。・・・たまに物凄く早く来ることもあるから要注意である。このいい加減さは僕にとってインドの嫌いな部分の一つだが、それも最近では受け入れなければならないのだと思うことだってある。彼らにとって時間に正確であることはそれほど大切なことではないのだ。交通事情でいくらでも遅れてしまうし、じゃあそれを見越して早めに出ろと行っても貧弱な道路インフラ事情のせいで30分で行けるのか2時間かかるのかも分からない状態で齷齪しても仕方がない。というわけで平気で遅れるし、それが外回りのワーカーなら「仕事が一つ飛べばそれだけ楽だ。ラッキー」ぐらいに思うかも知れない。僕も駐在1年半、遅まきながらうまく行かないことにようやく慣れて来たか。期待しないのが当たり前なのなら裏切られることも無い。ま、いつものことだ。仕方ないねー。と思えるならそういう気持ち心構えでいた方がストレス無く暮らせるというものだ。来るかも知れない人を1日待って、来なきゃ来ないで仕方ないという考え方。多少の遅れは気にしない、と。

 オットー・クレンペラーだったかブルーノ・ワルターだったかのエピソードで、モーツァルトか何かのテンポ設定に関してオーケストラに対して「これは飛行機なんか無い時代の音楽なのだよ」と語った、という話をどこかで読んだ記憶がかすかにある。オケはそのときもっと速いテンポで弾きたがっていたんだろうか。確か芥川也寸志も古典音楽が書かれた当時の時間に対する感覚と現在のそれは異なっているはず、といったことを書いていたと思う。時間がゆっくり流れていたであろう時代のテンポで演奏するのが良いのか現代人の感覚に合わせて演るのが良いのかは意見の分かれるところだろうが、いずれにしても同じ1時間に少しのお出かけではなく数百km離れた都市まで飛べるということを知っている我々は、モーツァルトの時代の人々とは時間の流れについて相当違う感覚を持っているだろう。あるいは東洋と西洋、18世紀と21世紀ほどの隔たりは無くとも、新幹線のある国とない国によってもその感覚は異なっていて当然なのではないか。更にはどうにも説明のしようも無い国民性、それぞれに異なる歴史の中でそれぞれの民族が編み出した性質、その違いによって時間に対する感覚が異なることもまた当然ではなかろうか。同じ時間の長さをどう感じるか、という視点だけでなく、待つ時間待たせる時間、「ちょっと待って」の長さも。正確さも。

 日本人は焦る。早くしたいと思う。正確であれと思う。この神経質さはおそらく世界一だろう。
では吉蔵はどうなのだ。一日すっぽかした青江はまあそれも仕方ないと思っただろうか。そしてインド人は? 

 これもまた殆どただの思い込みであって一向に構わないが、そこでまた、僕には「現在と江戸時代」の違いに「日本とインドの違い」がだぶって見えてきてしまうんである。ケータイが普及し車が溢れかえってはいるけれど、インドの時間の流れ方は江戸時代みたいなもので、ゆっくり流れる時間の中で沢山の青江や吉蔵やおとよが暮らしているんではなかろうか。決して「遅れてる」「ルーズだ」という悪口ではなく、現代日本、日本人とは感覚の違いがあるのだ、というただそれだけの意味で。


 そう思うと少しはインド人を理解できるような気も・・・いや、まだまだ何も分かっちゃいないんだろうな。





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by t-nakanobu2 | 2013-02-01 02:06 | 日記
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